575 エッヂの名無し 2025/10/13(月) 09:03:19.627 ID:DvTe0eTag
習近平の幼少期やん
習が13歳になった1966年12月のことだ。習は40余年後に自身が校長になる中央党校と決して忘れられない縁を結ぶことになる。大陸を狂風のルツボに引きずり込んだ文化大革命が始まったその年、幼かった習は文革を軽く評する失言をしてしまう。その代償は残酷だった。すぐに「現行反革命分子」として中央党校に閉じ込められた。当時中央党校は6人の「走資派」を相手に批判大会を開催した。
批判の対象に上がった5人は成人だったが、習は1人だけ未成年の児童だった。「とっ捕まえろ、習近平!」「とっ捕まえろ、習近平!」−−習近平に向かって無数に響く群衆の叫びの中には母親斉心の声も混ざっていた。強制動員されたのだ。壇下にいる母親が壇上にいる息子を「とっ捕まえろ!」と大声を張り上げなければならない現実の苦痛は、おそらく体験したことのない者にとっては想像もつかないことだろう。批判大会が終わった後も近いはずの母子は席を共にできなかった。中央党校に閉じ込められて過ごしたある日の夜、土砂降りの雨が降った。習は看守のすきを突いて家に逃げ帰った。驚いた斉心が「どうやって来たのか」と聞くと、雨に濡れた習はガタガタ震えながら「母さん、お腹が空いた」を連発した。習は母親が何か食べさせてくれ、服も暖かいものに取り替えてくれると期待していたはずだ。だが、斉心は習に背を向けたまま雨の中、上司にこのことを告げに行った。家族も反革命と言われ、下手をしたら命を失いかねないと憂慮したのだ。